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奈須きのこインタビュー 第4回2023.09.29

【プロフィール】奈須きのこ(なす・きのこ)
1973年千葉県生まれ。小説家・シナリオライター。武内崇らと共に同人サークルTYPE-MOONを立ち上げ、『空の境界』から始まる「月姫」シリーズで人気となる。現在は法人化した「ノーツ」所属。2004年発表の『Fate/stay night』からの「Fate」シリーズのシナリオを手掛け、特にソーシャルゲーム「Fate/Grand Order」が最大のヒット作となる。小説作品として、「DDD」「月の珊瑚」「宙の外」などがある。

ユーザーの人生の1ページになるようなゲーム体験を刻むために

 

奈須 そんなわけで、『stay night』の頃の「いつかRPGを作りたい」という思いは、他社さんとの協業でスタンドアローンRPGとして作った『Fate/EXTRA』(2010年)と続編の『Fate/EXTRA CCC』(2013年)でいったん実現します。
それが終わった後には、『Fate/Apocrypha』(2012〜14年)の元になったオンラインゲームの企画もあったんですが、いろいろあって本格的なオンラインゲーム化は実現せず、時代的にスマートフォンゲームを作ろうという話に行き着いて『FGO』に至りました。
そこで先ほど話したように、スマホというのは現実の日常に即して世界にアクセスする道具なのだと気づいて、「これはもうユーザー自身が世界を救う大きな話にしよう」という指針もできていた。そこで、これまでの鬱憤を晴らすように「自分がRPGを作るならこうしたい」と思っていたことを全部込めていくことにしました。
要は、TRPGやPBMみたいに多くの人間が集まって世界を動かして、ユーザーの人生の1ページになるようなストーリードリブンの作品を本気で追求してみよう、と。

中川 そうですね、初期のPBMは振り落とされる人が非常に多かった一方で、まさにその体験に一生とらわれ続けるほど深く刺さる人を少数生み出してしまうという世界でした。
そういうマインドを、コンシューマーとかスマホとか、誰もが手にする一般的なデジタルゲームのメディアでどこまで「やっていい」ことにするのかは、常に大きな挑戦ですよね。
『FGO』も、2010年代中盤のスマホゲーにおける「こんなことやっていいんだ!?」の最たるものでした。それまでは劇中でもネタにされてるように「話の途中だが、さてワイバーンだ」みたいな感じで(笑)、ストーリーは戦闘の間のフレーバーレベルでしか入れてはいけないものだと思われていたのに、いまやソニーグループ全体の収益を支えるくらいの規模感で受け入れられるようになったということは、相当な驚きだったんじゃないですか?

奈須 最初は「ストーリーをメインにすると言っても、ユーザーは20クリック以上の文章には耐えられない。だから20クリック以内に戦闘は入れてくれ」と言われて、第1部のローンチの頃はその通りにしてたんです、1〜4章くらいまでは。でもそれだとやっぱり話のクオリティは落ちるので、序章だけはテキストを長くしていました。
そして序章の評判を見て、5章から先はそのフォーマットは忘れて、本当に自分たちが作りたいものを作ろうという賭けをして、それに勝った……ということでしょうか。課題はまだまだ山積みですけど。
何故かというと、アクティブなユーザーのうち、ストーリーを読んでいるのは比率としてはごく一握りです。というか、そもそもベストセラー本だって国民の100人に1人くらいしか読まないものですからね。『物語』を読むのは、基本、面倒くさいものなんです。どんなに売り上げを上げようとこれだけは永遠に変わらないことなので、これはしょうがない。どんなに『FGO』が売上げ規模的にはヒットしていても、ストーリーを全プレイヤーが楽しんでくれているわけではない。
それを踏まえて、ストーリーを楽しんでくれているプレイヤーにはその期待に添える物語を、ストーリーではなく『FGO』というゲームを楽しんでくれているプレイヤーにはその期待に応えられる話題性を提供する。その上で、そのどちらも楽しみにしてくれているコアなプレイヤーがいることを信じて、スタッフ一丸になってゲームを作っていきたい。
マニアック、というのも語弊があるのですが、『蓬萊学園』のようにコアなユーザーに愛された、10人中数人しか辿り着けないかもしれないけど、辿り着いた人には最高のものを提供するというのに憧れていたので、こういう方向になったんですね。

中川 コア層がブランド性の核になって、ジャンル自体を引っ張っていきますからね。その下のライトな広い層に合わせてしまうと、IPとしてのポテンシャルが先細りしてしまいますから。その意味で言うと、スマートフォンゲームの場合は、ストーリーに興味がない人でも純粋にゲームメカニクス面でハマってプレイが日常化していくので、コア層とライト層が共存してそれぞれ別の楽しみ方ができるようになっているというのは、現代の運営型ゲームの進歩したところだなと思います。

奈須 これは文字書きの夢想に過ぎないけれど、シナリオに興味ないライト層の人も、同じタイトルをプレイしているのだから、いつか読んでくれるかもしれない。友達に薦められたとか、たまたま好きなキャラクターができたとか、そういう時に「あ、テキストを読むのって面白いな」と思ってもらえたら後につながってくれる。この後の世代の文化に。
そういう願いがあるので、今も何とか踏みとどまっております。先達がいたからこそ、偉大なものがあるからこそオタク芸は続くわけであって、次の人たちにも楽しんでもらえれば、彼らが成長した時に新しいものが作られるんですよ。
その頃には僕らはもう老人だから、もう自分では作れないけれども「お、また面白いものが出てきたぞ」と楽しむことはできる。自分は老衰で死ぬまでゲームをしたいので、若手には育ってもらわないとね。
ただ、ゲームの場合はコンシューマーはプラットフォームが変わるし、オンラインゲームは形自体が残らないしで、特にアーカイブ化の努力が不可欠なんです。過去の名作はいつでもプレイできるようにリメイクしてもらうとか、デジタルアーカイブとして工夫して資料化してもらうとかしないと、永遠に失われてしまうので。

■「蓬萊学園」とPBMから学んだ大規模フィクションに不可欠な「世界への信頼

──この流れでお伺いしたいんですが、『FGO』で全面化した「Fate」シリーズの世界観には、もともとアカシックレコード的な設定もあるし、世界各地の神話・伝承とか歴史物語とか、あるいは中世の騎士道物語や推理小説などの文芸ジャンルに至るまで、およそ人間が紡いできたあらゆる「物語」を、英霊・サーヴァントのキャラクター化を通じてアーカイブしよう、という意識があるような気がします。

 

中川 実際、ユーザーの側にも『FGO』で知って様々な神話を調べてみたとか、あるいは世界の歴史料理を特集した本が売れたなんて事例もありましたよね。
そんな形で、人類が積み上げてきた物語文化みたいなものの総浚えを奈須さんなりの視点でやろうという意識が、どこかの段階で生まれているのではないかとも思ったのですが、いかがでしょうか。

奈須 一番はじめの『stay night』自体は、あちこちで話しているように山田風太郎の『魔界転生』(1989年)をワールドワイドでやろう、くらいのつもりでした。雰囲気とか言葉選びはボードゲームの『マジックマスター2 紋章使い[xxv]』(1989年)にめちゃくちゃ影響受けてますけど(笑)。
ただ、そこから始まってシリーズが育っていくうちに、「Fate」のユーザーの多くが各地の英雄譚や神話の知識がなく、「あ、これって基礎教養じゃないんだ」と気がついて、特に『FGO』では各章ごとにサーヴァントのルーツとなる神話や歴史の舞台に行ってみるという構造は意識しました。もちろん「Fate」は神話や伝承の拡大解釈を楽しむものだから正しい伝達ではないんだけど、物語をきちんと広げていけば、ユーザーも少なくとも興味の取っかかりは持てるようになるだろう、と。
人間というものは生まれた土地や環境に応じていろいろな文明の芽吹き方があって、価値観も違う。気候が厳しい北欧とかでは終末論のような神話が生まれやすいけど、温暖で生活しやすいハワイなどポリネシアとかの神話では、まず終末なんて考えないから牧歌的で平和な感じだし、いろんな想像力の形があるわけです。それは善悪とか優劣ではなく、それぞれの環境に応じた必然性があるんだということを、きちんと伝えていきたいという思いはありました。
とはいえ、たまたま「Fate」の英霊というシステムが一生の飯の種になるくらいにブレイクしただけで、本当は『月姫』みたいなこぢんまりとした話をやりたかった人間なので本来はそんな大それたことを考えていたわけではないのですが、多くの人に受け入れてもらった責任上、この仕掛けでやれる限りの可能性は追求していければと思います。

中川 自分の頭の中の創作物だけでなく、現実に存在する様々な存在を巻き込める設定になっているのが、英霊システムの面白いところですよね。そのあたりも、『ネットゲーム’88』とか『蓬萊学園の冒険!』といった初期PBMでプレイヤーそれぞれが自分で現実の知識からもプレイングヒントを見つけていったマインドと近しいものがある気がします。
あと、「Fate」および型月[xxvi]世界の展開とPBMで、もうひとつ似たところがあると思っているのは、1990年代までに構築された様々なジャンルフィクションを横断的に融合させながら、物語をスケーリングしていったところでしょうか。
いま奈須さんがおっしゃったように、『月姫』『空の境界』の時代には、ユーザーにとって身近な現代社会の裏側で起こる猟奇殺人が云々という規模感の物語だったのに、『stay night』では人類史を代表するような英雄がなぜか現代人の私闘のために日本の地方都市に喚ばれる聖杯戦争という奇妙な仕掛けを介して徐々にスケールアップしていき、さらに『EXTLA』以降の月世界など、ジャンル的にも伝奇や異能力バトルから異世界ファンタジーやSFまで様々な要素が入ってきて、なんとも分類しがたい独特の世界観に育っていきましたよね。
それでいて、「魔術」や「魔法」をめぐる世界観の一貫したアイデンティティや様式性のようなものは保たれていて。
これって、ある局面では猟奇殺人をめぐるミステリーがあり、ある局面では戦記ミリタリーみたいなものがあり、またあるところでは神話的な秘境冒険が繰り広げられていて……というかたちで展開された「蓬萊学園」のようなPBMの世界構築のあり方ともよく似ています。
それが原点である一人称視点のノベルゲームや小説から、スタンドアローンのダンジョンRPGや簡易TCG型のスマホゲームへと、ゲームメカニクスとメディア環境の進化に密着して段階的に起こっていったという点が、「Fate」というIPの際立った特徴だなと思うんですけど、その核に奈須さんの思いがあるというのが、すごく腑に落ちました。

奈須 個々の事件はまったく別なんだけれど、自分が関わっている出来事の外側でも何か別のことが起きているぞという認識が生まれると、その世界の信頼度が異様に上がるんですよね。いま自分がやっているこのゲームでは、たしかに身の丈レベルの小さい事件しか起こらないんだけど、その箱庭の外ではものすごい戦争の歴史があって……という図式は、現実と一緒なんですよね。
うまく伝わるかわからないんですけど、「蓬萊学園」は明らかに嘘の世界であるにもかかわらず、でも「これは嘘じゃない」という安心感がありました。
たとえば巨大ロボットが作れるのかという問題は、我々の世界では単に荒唐無稽な絵空事ですけど、その世界のあり方に信頼度があれば、今の自分にはできなくとも、うまく手続きを踏んで頑張ればできるんじゃないか、と思えるじゃないですか。そうやって自分が見方を変えたり、頑張れば頑張るほど世界が応えてくれるんだって思えたりしたときに、その世界をすごく好きになれる。
ユーザーにそういう「世界の信頼」を味わってほしくて、ずっと作品づくりを続けてきたのかもしれません。
嫌な言い方ですけど、基本的に頑張っても応えてくれないかもしれないのが現実のリアリティですよね。だからフィクションの力で、一方では現実以上に理不尽さを誇張した事件とか、一人一人の力ではどうにもならない存在とかを仄めかせることでリアリティを描きながらも、そこで頑張れば一矢報いて世界が姿を見せてくれることがある……と思えるようになるのは、一種の救いなんだと思います。

中川 その感覚は、めちゃくちゃよくわかりますね。僕もリアルに高校生になるのと同時に、もう一つの高校として「蓬萊学園」に入った、みたいな感じでしたから。<br>
想像上の宇津帆島で、「さぁ、日本国から独立するぞ。自主憲法まとめなきゃ」とか「じゃあエネルギー問題どうすんだ? 原発とかあるぞ」とか、「月光洞の物理法則であの教授はこんな理論を唱えてるけど、もっとこうあるべきだろ」みたいな、みんなで知恵を集めて現実世界の問題を凝縮した運営シミュレーションみたいなことをやっていくさまを、全部あの1年で見せつけられたようなところがあって。

奈須 わあ、それはすごく羨ましいなぁ~(笑)。

中川 当時の自分の知見や力量ではほとんど何も貢献できなかった悔しさがあるんですけど、でも「頑張ればこの世界の複雑な現実というものをひもといてアクセスできるんだぞ」という手ざわりを、あの時のPBMが与えてくれたんですよね。
最後の宿泊イベントでみんなで月光洞の物理法則を考えた体験から大学でも応用物理学科に進むことにしたし、さらに「この現実世界の問題を読み解き攻略する」という意識も強く植え付けられて、専門分野を超えて社会や文化の評論を志したという流れがありましたので。
奈須さんがおっしゃるフィクションを通じた「世界への信頼」というのは、そういう感覚のことなのかなと思いました。

奈須 きっと陣営が違ったりウマが合わなかったりしてお互い反目しあったこととかも沢山あったんでしょうけど、プレイヤー同士が大きな意味で虚構を共有する仲間として手を取り合ったり、異なる分野の人たち同士が「そんな発想もアリなんだ」と認め合ったりして、最終的に大きな世界を構築していったというPBMならではの達成感は、本当に羨ましいなと思いますね。

中川 おそらく奈須さんの中で、フィクション世界の信頼度はここまで作り込めるのだという、ある種の上限値を示したのが「蓬萊学園」ということだったのかもしれませんね。

奈須 「ここまでやっていいんだ、ここまでやらなきゃユーザーは愛してくれないんだ」と当時は思ってたんだけど、今回30年ぶりに実際の資料を拝見して、「俺が当時記憶していたものの10倍すごいわ」となっています(笑)。いや、10倍どころじゃないか。当時の遊演体の中心人物は何人いらっしゃったんですか?

中津 新城さんがいて、今は欧州近世軍事史の研究者になっている有坂純さんがいて……それでも設定を考えていたのは3〜4人くらいだったはずです。「『指輪物語』は原書で読め」とか、そういう説教から始まる世界の人たちなんで(笑)。

奈須 原書は情報量が違うんでしょうね。自分の先輩も「『指輪』は原書で読め」というタイプの人でした。「英語は学校で習うんだから原書で読めるだろ」という人で、これはめんどくさいオタクだなと(笑)。

中川 でもPBM時代は現代の情報環境のおかげで集合知を寄せあうことができたので、ある意味では「原典」であるトールキン個人の作ったあの神話体系を超えている部分もあったんじゃないかと思います。

奈須 トールキンの「中つ国」は色々な民話や伝承とかを編纂して彼の考える理想の幻想世界を作ったと思うんですけど、「蓬萊学園」は現実に即した空想科学冒険世界ですからね。そこに鬼神のような人たちが集まって巨大な柱を作って、そこにさらに多くのユーザーが「ここに綻びがある」とそれをさらに埋めていって、あの世界が生まれた。そういう、みんなが実際に共同制作したリアリティの強さがあると思います。
『FGO』もユーザーが参加してるけど、ユーザーの声はアンケートでしか届かないから、ユーザーの意見で世界構築が変わることはないんですよね、仮に参加できても制作タイミング的にも間に合わないですし。基本、ユーザーさんが見ているものは1年前に創られたものなので……。

【脚注】
[xxv] 翔企画から発売された対戦型カードゲーム。
[xxvi] 「型月」はTYPE-MOONの俗称で、「Fate」シリーズ以外に『月姫』『空の境界』などにも通底する同ブランド全体の世界観は、ファンの間でこう呼称されることが少なくない。

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