PBM ‐「記憶」に残る、伝説のゲームを「記録」にするプロジェクト
【プロフィール】奈須きのこ(なす・きのこ)
1973年千葉県生まれ。小説家・シナリオライター。武内崇らと共に同人サークルTYPE-MOONを立ち上げ、『空の境界』から始まる「月姫」シリーズで人気となる。現在は法人化した「ノーツ」所属。2004年発表の『Fate/stay night』からの「Fate」シリーズのシナリオを手掛け、特にソーシャルゲーム「Fate/Grand Order」が最大のヒット作となる。小説作品として、「DDD」「月の珊瑚」「宙の外」などがある。
──そうしたライブ感の演出についてなんですが、もともと『FGO』第1部は2016年で人類の歴史が終わってしまう危機をどう防ぐかという物語で、まさに初期の遊演体PBMのように我々の現実世界と時間進行を同期させていたじゃないですか。そうした設定の背後にどんな着想や思いがあったのかをお伺いできますでしょうか。
奈須 なんだかんだ言って自分は物書きなので、テクノロジーの進歩にはあまり興味がなかったんですよ。
携帯端末がどんどん進化していって、ガラケーからスマホに移行したときにも嫌悪感しかなかったくらいで、そんな外付けの機能ばかり便利になっていって人間の中身はどうなっちゃうの?って。
でも、やっぱりゲームメーカーとしてやっていくためには新しい市場をちゃんと拓いておかないとまずい。観念して携帯端末用のゲームをどう作るかとなったときに、さっき話したように人生の傷跡になるような作品を、どうすれば作れるだろうということを考えました。ゲームであれ小説であれ、そういうものを作るためにずっと頑張ってきたわけなので。
その後、会社で業務用のスマートフォンを用意してもらって実際にいじってみて、考えが変わりました。
それまでは人間の思考力が減っていくのではないかと怖れていましたが、むしろ面倒な負担は機械に分担してもらい、そのぶん自分の生活でできることが増えるだけじゃん、と飲み込めた。「これは正しい進化だ」と思うようになった。
かつ携帯端末というのは機械というよりも自分の生活の一部になるので、現実に即したものじゃないとウソになる。せっかくスマホでやってるのに「これはスマホの中だけのお話です、現実の時間とは関係ありませんよ」となったら勿体ない。
せっかく毎日いつでも画面を見ていくものなんだから、それは今この時間とリンクさせなければと思って、2015年の企画の時に「1年間かけて一緒に世界を取り戻す」「このゲームをクリアしなくちゃ2017年を迎えられないんだ」という気持ちを出そうとゲームデザインしました。
実際、なんとしても第1部はみんなで2016年を超えて欲しかった。みんなが頑張ったからこそ2017年を迎えられるんだと、プレイしてくれた人に思ってほしくて。
中川 いやあ、そのコンセプトは本当に素晴らしかったです。なので僕はゲーム批評家として2016年のタイミングで空間ベースの拡張現実化をやってみせた『ポケモンGO[xviii]』に匹敵する時間ベースの拡張現実化を成し遂げた対照的な作品として『FGO』を論じたり、文化庁メディア芸術祭の審査委員として大賞候補にめっちゃ推したりしたんですよ。
奈須 ありがとうございます。おかげさまで、第1部は世界的にも予想外の成功を収めてしまったので、ユーザーさんとしても「世界を救うためにどれだけ頑張ったと思ってるんだ!」となるわけですし、こちらの都合で簡単にやめるわけにはいかなくなってしまいました(笑)。
そうなると、ゲームを運営する側としてはユーザーに「『FGO』はもういいよ」って言われるくらいまでやらないと示しがつかないというか、責任が発生する。幸い、第2部までの構想は当初からあったのですぐに第2部を開始できましたが、第2部はソーシャルゲームとしての醍醐味というよりも物語としての醍醐味を考えていたので、ぶっちゃけ第1部が終わったら「ゲーム」としての仕掛けは終わりかなと考えていました。
第1部で7つの人類史上の「特異点」が壊れると「現代」が成立しないよという話にしたのは、さっき話題にしたアーカイブの話ともつながるんですが、あまり歴史に興味がないユーザー、あるいは過去の出来事を遠く感じているユーザーに、ゲームの上でもいいので関心を持ってほしかった。
今の自分たちがいるのは過去に生きた人々の積み重ねがあったからという、当たり前の話ですね。産業革命から古代の神話まで、結果的に現代から古代に溯るほど高度な話になっていきましたが、「古代の人たちって蛮人なんでしょ?」「いや人間はみんな古代からめっちゃ頭使ってたからな!」って。
そうやってユーザー自身の時間進行と絡めたゲーム的な仕掛けで過去を体験してもらったのち、第2部では僕らは何処を目指すのか、というこれまた当たり前のお話をする事ことにしました。
今度は現実時間は無視して今の我々の知る歴史とはまったく異なる方向に進んだ「もしもの世界」を渡っていくことで、『FGO』という物語の解答を出せればと思っています。
ようやく第7章までかけてその一端を示せたと思うので、あとは新章でどうまとめるかですね。
中川 そうですね、今は地球が白紙化されて2017年で時が止まっている状態ですもんね。
そんな中で異なる歴史が積み重ねられてしまった世界同士の生存競争が繰り広げられてきた第2部は、いわば世界レベルの聖杯戦争になっている。
第1部の「アベンジャーズ」的な大同団結であれだけ盛り上がった後に、クリプターと異聞帯の王たるサーヴァントの関係なども含め、ここにきてバトルロワイヤルものとしての「Fate」シリーズへの原点回帰を果たすというのは衝撃的でした。
そして第1部の終局特異点が2016年末にああいう盛り上がり方をしたのを受けて、2017年には人間の物語的な想像力にフィーチャーした1.5章の4シナリオを挟んで、さらにその年末にアプリでの序章の配信、およびMXテレビでの大晦日のFate Project特番で序章を補完するオリジナルアニメの放映があってというかたちで第2章が開幕したことにも度肝を抜かれました。
まさか同人サークルから始まった「Fate」が、毎年NHKの「紅白歌合戦」の裏を張る国民的コンテンツになっていくなんて、誰が想像できましたよって。
奈須 あれはどうしてもやりたかった。かつてのPBMが持っていた、運営がいかに自分たちのユーザーを喜ばせるか、期待をさらに上回れるかという姿勢、要するに「この人たちについていけば面白い体験ができるんだ」という期待を提供したいという衝動が、自分の根底にはあると思うんです。
そういうスピリットを当時のゲーマーとして受け継いでいるので、自分としてはそれを何とか踏ん張って実行しています。
──まさに奈須さんと『FGO』のおかげで、せいぜい数千人のクローズドな傷痕だったPBM的なマインドの一端が、スマホ環境を通じて桁違いの人々に伝わっていきましたよね。
そこで伺いたいのが、奈須さんご自身の内心としては、小説のように純粋に自分の創作としてアウトプットすることと、ゲームのようにインタラクティブなかたちでみんなを参加させることとではどちらの動機が強いのでしょうか?あるいは、ご自身の中でどういう使い分けをされているのかといった意識があれば伺いたいのですが。
奈須 そうですねぇ……半々だと思います。半々だけど、ゲーム作家である以上、やっぱりユーザーが主役だと思っています。
「あなたがいるからこの物語は成立するんだよ」という、インタラクティブな部分は絶対忘れちゃいけない。というのは、小説の面白さに目覚める前にファミコンを手に入れているので、最初のインパクトはやっぱりグラフィカルな表現のあるゲームからなんですよね。
そこで「ゲームやマンガは面白いけど、小説は読むのがめんどくさいなあ」と思っていたときに、武内から菊地秀行[xix]先生の『エイリアン秘宝街』(1983年)を薦められて。
これがどうでもいい友達だったら読まなかったと思うんですけど、「タケ(武内)と仲良くなりたいから我慢して読もう」と思って読んでみたらすごく面白くて、「小説って楽しむための敷居が高いぶん、実は娯楽として一番面白いんじゃないか?」って。
当時のゲームの物語は、子供だましレベルのものが多かったですからね。
ただ、そうして小説に没頭していきながらも、ゲームに対してワクワクした気持ちが一番最初にあるから、何とかこれを両立できないかという意味で、自分の中ではやっぱり等価値だったんです。
だから「どっちがメインか?」と聞かれると「どちらもメインです」と応えざるを得ない。
中川 そうですね。「ドラクエ」なんかも今の水準からすれば非常にプアな環境だけれど「自分の物語」を紡げるワクワク感があって、その器に小説や映画のような先行メディアで表現されているもっと多彩で複雑な物語を流し込んで、もっとインタラクティブにしていったらどうなるんだろう?というワクワク感が僕らの思春期の頃にはあって、そんな動機がクリエイターを触発してゲームの歴史を作っていったと思うんですよね。
奈須さんの場合は武内さんと一緒にサークル竹箒を立ち上げて『魔法使いの夜[xx]』や『空の境界[xxi]』、あるいは『月姫』といった形で同人小説やノベルゲームになっていくというところに辿り着いていったのだと思いますが、そのあたりのプロセスを細かく振り返ってみるといかがですか?
奈須 小説にある重厚な物語世界への満足感、一つの世界が終わったという読後の寂しさや達成感、誇らしさみたいなものが、いつゲームに実装される日が来るのだろう?って思っていた時期に出てきた一番はじめの答えが、『ファイナルファンタジーⅣ』(1991年)だったと思います。
スーパーファミコンという新しい時代の表現に合わせてシナリオと世界観を高いレベルで作り上げたゲームが、やっと出てきてくれたなと。それに3日間ぐらい夢中になってやり込んでクリアして、エンディングを見ながら「あれ。俺、明日からどうやって生きていけばいいんだろう?」というくらい、ゲームの世界に心を置いてきてしまった。
いま思えば、あれが「いつかゲームを作りたい」と思った瞬間だったかもしれません。ああいう気持ちを出力できる装置があるんだなって。
ただまあ、ゲームも作りたいけど一番自分に合っているのは物書きなので、その後はデビューを目指して、『魔法使いの夜』の原型になった小説などを身内向けに書くようになっていました。
インターネットの時代になってからは竹箒のホームページでも1998年に『空の境界』のウェブ小説版の連載を始めていて、そんな折りにLeafさん、Keyさんが牽引したいわゆる「泣きゲー」ブームが重なって。それで武内から強く薦められて『ONE 〜輝く季節へ〜[xxii]』(1998年)をPS版でプレイしたんです。
『To Heart』も好きだったんですけど、あれは物語よりもキャラクターの機微を高密度に描写する方向だったのに対して、『ONE』は本格的に物語的をメインにしていたので、「あっ、サウンドノベルのシステムでこんなことやっていいんだ」とハッとさせられました。
『弟切草[xxiii]』(1992年)以来のサウンドノベルは基本的にはシチュエーションもので、プレイヤーの分身である主人公はあまり内面描写の我を出さず、選択肢の分岐で状況がインタラクティブに転がっていくのを楽しむものが中心でした。
それが『To Heart』などのビジュアルノベルの時代になると、それをキャラクターのいろいろな側面を描く仕掛けに使って、さらに『ONE』は主人公が我を出したり物語の情景を深く描写したりしていくスタイルに振り切っていた。
これは「ゲーム」としては10人中6人は拒絶反応を示すと思うんですけど、4人くらいはきっと面白いと感じると思うんですよ。そこでビジュアルノベルでこんなことをやっていいなら自分たちでもやってみようということで、同人ゲームとして『月姫』(2000年)を作ったんですけど、『月姫』が予想外に売れたので、ここが分水嶺だなと思ったんですよね。
どっちかに浮気はできないので、小説家を目指すのか、ゲームライターを目指すのか、はっきり決めようと。それで『Fate/stay night』(2004年)を商業ゲームとして出すために2001年にTYPE-MOONを同人サークルから会社にして、ゲームライターの道を進むことになりました。そんな始まりなので基本的にはノベルゲーム専門のブランドですが、心のどこかでずっと『FFⅣ』で味わった原体験が燻っていて、「いつかRPGを作りたい」という思いがありました。
中川 たしかに『stay night』の頃から、ノベルゲームであるにもかかわらず、サーヴァントにゲーム上まったく必要のない筋力などのパラメータとかがフレーバー的に設定してあったあたりは、TRPGのキャラクターシート感がありますよね。
奈須 だってそういう時代だったから(笑)。あれをやることでゲーム感を出すのと同時に、「こいつらは兵器なんだよ」ということも伝えられるし、ユーザーに「こいつはこのクラスでこの数値が付くってことは、別のクラスならどうなるんだろう?」みたいな遊び心というか、想像の余地や発想の楽しさを提供したかったんです。
中川 我々の世代って、RPGを経験した後で文学とか映画とか様々な先行文化に溯っていったので、ファンタジーやミステリーやSFなど、別々のジャンルで確立されたエンタメ様式をキャラクターベースでパラメーター化して共通フォーマットに落とし込むことによって、メタジャンル的に物語を解釈・再構築してきた部分があるじゃないですか。
『stay night』や『空の境界』当時の奈須さんは、2000年代前半の講談社「ファウスト[xxiv]」で「新伝綺」の旗手という打ち出しで作家としてもデビューされていますが、あそこで起こっていたのは、RPG的なパラメーター化とか、「座」に登録された英霊が召喚できるみたいな世界律のシステム化とか、ゲームメカニクス的な発想をノンインタラクティブの小説に環流させることで、古典的なフィクションの様式を再編する文芸運動だったと思うんですよね。
奈須 「なんでも数値化していいんだ」という感覚は、TRPGや一番最初に「蓬萊学園」のキャラクターシートを見たとき、「ここまでやるの?」と感じたときから持ち続けてきたものですね。
それまでは人間性のようなものは数値化できない、あるいはしちゃいけないものだと思っていたんですけど、この「人物(キャラクター)」は陰陽五行とか仁義礼智忠信孝悌のどれにあたり、それぞれ数値上はどのくらいか、といった属性分類やパラメーターを可視化することによって、第三者が見ても一発でそのキャラクターが理解できるというのは、すごい発明だったと思います。それを『stay night』でもやればいいと。
数値で人間を表すなんて文学として浅いとかいろいろ言われましたけど、それを言うならそもそも言葉なんていう曖昧なもので人間を表現できるのか、自分の思っていることが明確に誰かに伝わることがあるなんて本気で思っているのか、となる。むしろ物書きだからこそ、自分の文章に込めた繊細な意図が相手には半分も伝わっていなかったことは、やればやるほどわかるじゃないですか。
そう考えると、数値ほど頼りになる伝達ツールはないわけですよ。
中川 世界のリアリティ表現のあり方として、そこに頼ってもいいんだぞってことですよね。それによって世界観の表現手段を、描写以外でも持てる武器になる。ゲームと物語をつなぐRPGブーム世代以降が持つ、ある種のゲーム的リアリズムが生まれているというか。
奈須 誰に対してもわかりやすくなるし、自分がそのキャラクターを作ってから10年後くらいにもう一度使うことになった場合に「こいつってどんなキャラだったっけ?」とパラメーターを見直せば、「そうか、このパラメーター設定ということは内向的な性格で、これこれこういうことを考えてるやつだったな」という細かい機微が思い出せるし、キャラクターの案内図にもなっている。
ゲームから始まった僕らにとっては、数値化というのは人間理解の一種のリテラシーになっていて、忌避感がないのだと思います。
【脚注】
[xviii] スマートフォン向け位置情報ゲームアプリ。ポケモンキャラクターと「イングレス」を組み合わせて拡張現実に落とし込んでいるのが特色。
[xix] 小説家。1982年『魔界都市〈新宿〉』でデビュー。以来、夢枕獏とともに伝奇小説の旗手となった。他に代表作として「吸血鬼ハンターD」「エイリアン」「トレジャー・ハンター八頭大」各シリーズがある。
[xx] 奈須きのこが1996年に執筆した未発表・未完成の同名伝奇小説を原作とするノベルゲーム。
TYPE-MOONより発売。『月姫』、『Fate/stay night』、『空の境界』に連なる奈須の世界の原点にして雛形。『月姫』の魔法使いである蒼崎青子を主人公とし、『空の境界』の蒼崎橙子もメインキャラクターとして登場する。
[xxi] 奈須きのこによる日本の長編伝奇小説。事故により2年間昏睡状態であった少女・両儀式と、その周辺の人物を巡る物語である。2001年年12月30日、全7章を同人誌として刊行した(全2巻)。
[xxii] 1998年5月29日にTacticsより「心に届くADV第2弾」として発売された18禁恋愛アドベンチャーゲームである。後にKeyを立ち上げたスタッフが中心に製作したゲームであり、Keyのゲームと同列に扱われるのが通例。
[xxiii] チュンソフトより発売されたアドベンチャーゲーム。また、その関連する映画や小説。チュンソフトの自社ブランドにおける処女作であると同時に、同社が打ち立てたサウンドノベルシリーズの第一作。
[xxiv] 講談社が不定期に刊行している文芸雑誌。2003年9月創刊。キャッチコピーは「闘うイラストーリー・ノベルスマガジン」