PBM ‐「記憶」に残る、伝説のゲームを「記録」にするプロジェクト
【プロフィール】
木村航(きむら・こう)/茗荷屋甚六(みょうがや・じんろく)
小説家。シナリオライター。
木村航(きむら・こう)は作家ペンネーム。ゲームシナリオ執筆の時は茗荷屋甚六(みょうがや・じんろく)名義。
著者紹介の学歴によれば「1990年度蓬萊学園卒業」との事。代表作にアニメ化された「ぺとぺとさん」や、PSYCHO-PASS サイコパス Sinners of the System(吉上亮との共著)など。ゲームはFate/Grand Order、Forestなどがある。
著書の略歴には「蓬萊学園一九九〇年度卒業生」と記してある。シャレや冗談ではなく実感だし、事実でもある。九一年『那由他の果てに』から遊演体でマスター業務を始めたが、そのきっかけは、前年度に開催された『蓬萊学園の冒険!』(以下N90と記す)が面白すぎたことだった。蓬莱との出会いがなければ、今の私は存在しない。
N90では同人誌を主宰していた。いわゆる情報誌。ゲーム内で何が起きているのかを集約し、次はどうすればいいのかを考察する助けとするもので、どのゲームでも多くの有志が立ち上げ、活発に交流を繰り広げていた。
インターネットのない時代である。パソコン通信は既にあったが、私の環境では高嶺の花。岩手の片田舎にいて、持病もあって外出もままならない生活だったから、情報交換の手段は郵便しかない。
今では考えられないことだろうが、当時は文通という文化があった。雑誌には文通相手を募るコーナーがあり、住所氏名が普通に公開されていた。むろん全て実名だ。PBMもまたそうした文化を背景に始まっている。手紙のやり取りは推奨されたし、プレイヤー側にも違和感はなかった。
情報誌の編集は楽しかった。すでに同人経験もあり、手紙のやり取りにも慣れていたので、億劫さはない。毎月大量の手紙を書きまくり、また受け取って、それらを元に誌面を構成する。情報誌は速さが勝負だ。ゲームの次回アクションしめきりまでに読者の元へ届けなければ意味がない。速達でも三日かかる地理的条件は不利だったが、その分執筆を急げばいいだけの話だ。
他誌と異なる点がひとつあった。取り扱う情報を、提供者自身の体験として再構成することだ。当時のリアクション(ゲーム内の事件を小説形式で記したもの)では、ゲーム参加者のPC(キャラクター)が経験した出来事という体裁でありながら、名前すらめったに出ないその他大勢の扱いがほとんどだった。小説としての質を保つにはやむを得ないことだったろう。だが、やはりそれでは寂しい。かれらは皆そこにいた。ならば自分の経験として語り直すことだって出来る。そう思って始めた。案の定、手応えはあった。
当時すでに、プライベートリアクションと呼ばれる、いわばリアクションの二次創作は存在した。その方法を情報誌に応用したわけで、参加者には嬉しい要素だったはずだ。毎月の投稿は数を増し、熱を帯びた。誰もが自分のPCとして語り、行動し、やがては誌上で物語を生み出し始めた。自分たちで作る、自分たちの物語。それはN90の本筋で語られる壮大な冒険に比べれば、ごくささやかなものだったが、しかし満足感では引けは取らなかったと思う。
誰もが皆、何者かであろうとし、生きた証を残そうとあがいた時間と場。あれが私の青春だったと思う。あそこで学び、悩み、紡いだ言葉の数々が、今も支えてくれている。
蓬萊学園、我が母校。何者かと問われれば、その卒業生と答える。
ちなみに、この業界には少なからぬ数の同窓生がいて、学閥を形成しているとの話もあるのだ……。
木村航/茗荷屋甚六